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 神のメッセージを背負った者


 今日はアモス書1章1節から2節の御言葉を通して、預言者アモスについて一緒に考えてみたいと思います。


 アモスは特別な背景や地位を持つ人物ではありませんでした。彼はただユダのテコアという小さな村の出身で、羊飼いであり、桑の木を栽培する事業家でした。しかし、神様は彼を北イスラエルに送り、神の言葉を伝えるようにされました。

 当時の北イスラエルは、政治的にも経済的にも繁栄を享受していましたが、その繁栄の背後には深刻な道徳的堕落と社会的不正が存在していました。まさにこの時点で、神様はアモスを召されました。アモスは預言者の家系でもなく、特別な宗教教育を受けたわけでもありませんでした。それにもかかわらず、神様は彼を用いて北イスラエルに神のメッセージを伝えるようにされました。

 神様は預言者と祭司を通してご自身の意志を伝えられます。祭司は人々を代表して神に取り成す役割を果たしますが、預言者は神の側に立ち、神の言葉を人々に伝える者です。本当の預言者とは、論理的で華やかな言葉を使う者ではなく、神の言葉を受け取り、その言葉をそのまま伝える者です。

 私たちは「預言」という言葉を聞くと、未来に起こることを予測することだと思うかもしれません。しかし、聖書が語る預言はそれ以上の意味を持っています。預言とは、神から受けた言葉を伝えることです。預言者は現在の状況の中で神の意志を伝え、そのメッセージには神の計画と裁き、そして救いの約束が含まれています。

 今日、私たちはまた現在の重要性を忘れてはなりません。今の私たちの生き方が過去の結果であり、同時に未来の原因であるという事実を忘れないでください。現在の選択が私たちの未来を決定します。したがって、今の生活を変えることが重要です。神様は今この瞬間、私たちが変わり、御心に従って生きることを望んでおられます。

 アモスのメッセージは単純ではありませんでした。彼は北イスラエルの繁栄の中に隠された不正と堕落を指摘しました。アモスは物質的な豊かさと華やかな礼拝があふれる中で、彼らが貧しい者を虐げ、無視する不正を犯していることを告発しました。神様はこのような不正を許されず、吠えたける獅子のように怒りを表されました。

 私たちの礼拝がいかに華やかで、形式的に完璧であっても、その中に神の正義がなければ、神様はその礼拝を喜ばれないという事実を忘れてはなりません。神様が望まれる礼拝者とは、正義の生活を送る者です。弱者を顧み、義を実践する生活を送る者こそ、神様が求められる真の礼拝者です。

 今日この時、私たちはアモスのメッセージを心に刻み、私たちも神のメッセージを背負い、正義と義を実践する生活を送ることを誓いましょう。神様は今も正義の礼拝者を探しておられます。私たちの生活が礼拝となり、私たちの行いが神のメッセージとなりますように。

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