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神のかたち

神のかたち

創世記1章26-31節

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。


神は御自分にかたどって人を創造された。

1)古代時代の神々はなぜ人を創造したのか。

古代神話では、神々は人を神に代わって働く労働力として創造したと記録されています。

人間が創造された理由は、神々の代わりに仕事ができる労働力として創造されたのです。

人は労働力であるだけで、それ以上の何の意味もない存在でした。


2) 神は人をどんな存在に創造したのか。

聖書では、神様が天地創造する時、動物を創造する時はそれぞれの生き物を創造されました。

ところが、人だけは違いました。

1章17節 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

神様に似た存在で創造されたということです。

神様は人間以外に何も神の形にしません。

ただ人間だけが神様の形に作りました。

皆さんの価値はまさにここから来るものです。


古代時代の王たちは自ら神と言い、神が送った者だと言いました。

ただ王だけが神の形で創造された存在だと思いました。

だから王は尊い存在です。

天の下に二つの太陽はありえません。

ところが、神様は皆が神の形で創造された尊い存在だということです。

特定の誰かが尊い存在ではなく、まさにあなたが! 君たちみんなが!

王様のような存在だとおっしゃってくださるのです。

古代の王や貴族ではない人々は、人として扱われる存在ではありませんでした。

それが当然の時代でした。

ところが、そのような時代の神様は、人間がどんな存在なのか、人間がどれほど価値のある存在なのかを創世記を通じて私たちにおっしゃってくださいます。 私たち皆が同等の存在であり、

私たち皆が聖なる存在であり、私たち皆が一国の王のように神の形で創造された存在だと言います。


世の中は私たちの価値を自分たちの利益に沿って定めますが、神様は私たちにこう言います。

創世記1章31節 見よ、それは極めて良かった

ヨハン福音書3:16

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ローマで5:8

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

ヨハネの手紙一3:1

御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。

ゼファニヤ書3:17

お前の主なる神はお前のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ/愛によってお前を新たにし/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」


神様は私たちを見て極めて良いと言います。

私たちによって喜びに勝てないほど嬉しいとおっしゃっています。

皆さん、私たちの価値はこの世の何とも比べ物にならない価値のある存在です。

私たちは神様が自分の命と変えてでも救いたい存在です。

私たちはすでに限りない愛を受けた存在です。

皆さんご自身を愛してください。

皆さん、自分自身を大切にしてください。

他人が自分をむやみに扱わないようにしてください。

レビ記19章18節律法を見れば、自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。


ここで「愛する」(アハブ)という単語は誰かに「役に立つ」「有益な存在になってくれる」という意味です。 あわせて隣人を愛するその深さや程度については「自分自身のように」という言葉を使っています。 つまり、私が自分自身を大切にし、愛するのと同じ重さで隣人を愛せという意味です。

隣人を私と同じように大切にし、配慮し、理解し、包み込んで、許して、愛せということです。


3) 神の形は神の国の領域

私たちは神の形です。

古代の王は、自分の統治権が直接及ばない遠い地域には、

自分に似た石像を立てました。

ここからはこの王が治める国という意味です。

王が統治する領域を意味する。

人々は私たちを通じて神を見ます。

神様がどんな方なのか私たちを通じて知ることです。

神様の国の統治領域が皆様を通じてますます広がっていくことを願います。

神様の統治のない世の中は差別と排除と嫌悪に満ちています。

私たちが受けたこの愛を通じて神様の国が私たちの中で拡張され、より多くの人々が世の中で受けた差別と排除と嫌悪の苦痛の中で慰労と激励を受け、これ以上そのような社会の中で自らを嫌われないように国を作っていく私と皆様になることを願います。

そのため、私と皆さんの中に刻まれた神の形が家庭の中で学校の中で色々な関係の中で現れることを祈ります。


<整理>

最後に雅歌1:5を見てみましょう。

エルサレムのおとめたちよ/わたしは黒いけれども愛らしい。ケダルの天幕、ソロモンの幕屋のように。

この女性は自分の肌が黒いと言います。

この女性の肌が黒いのは、この女性が黒人だからではありません。

この女性の肌が黒いのは畑仕事で日焼けして黒くなったことです。

1章5節で、この女性は自分の姿が美しくないと思ったようです。

しかし男性は女性の姿がケダルの天幕ではなくソロモンの幕屋のようだと話します。

雅歌4章1-5節、男性は女性の美しさを歌っています。

04章 01節

恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう/ベールの奥にひそんでいる。髪はギレアドの山を駆け下る山羊の群れ。

04章 02節

歯は雌羊の群れ。毛を刈られ/洗い場から上って来る雌羊の群れ。対になってそろい、連れあいを失ったものはない。

04章 03節

唇は紅の糸。言葉がこぼれるときにはとりわけ愛らしい。ベールの陰のこめかみはざくろの花。

04章 04節

首はみごとに積み上げられたダビデの塔。千の盾、勇士の小盾が掛けられている。

04章 05節

乳房は二匹の小鹿。ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか。


表現が美しいです。

彼女の目と髪の毛、歯と唇の首と胸に至るまで、彼女が自分にとってどれほど美しい存在かを告白します。

男性と女性は絶対に愛せない身分の違いがありました。

しかし、男性は身分の違いを超えて、日差しに黒く焼けた女性のすべてを愛していると告白します。 神様と私たちの身分の違いはどうですか? これよりもっと大きいです。

創造主と被造物の違いではありませんか?

ところが身分の差を越えるために人間の姿で来られたし、私たちを愛して私たちを救うために十字架で亡くなった。

私たちが子供を愛するにあたって、その子供の罪が障害物にはなりません。

私の子供だからこそ、それさえも抱くことができるのです。


そんな神様は私たちをどんな存在として見ますか。 罪人ですか?労働力ですか?

皆さんを神様にとって愛らしくきれいな存在です。

そして皆さんのそばにいる人もきれいで美しい尊い存在です。

皆さんが属しているところで隣の人を見る時、そのような存在として見てほしいです。

私たちの家族から私たちの共同体からまずお互いが愛し合い尊重し、励まし、慰めながら生きていきましょう。 そして、その愛と尊重し、激励と慰労が私たちの中で満たされ、周囲の人々に流す神の形で生きていくことを祈ります。

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