神がお遣わしになった者を信じる人生
- k2simple1
- 2022年3月12日
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ヨハネによる福音書 6章22-29節
主題 神がお遣わしになった者を信じる人生
1. イエスを探している群衆
22 その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、
また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。
23 ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々が
パンを食べた場所へ近づいて来た。
24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、
イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。
* パン五つと魚二匹の奇跡を体験した人々がイエスを求めてさまよっている。 彼らはイエスがいられるような場所をくまなく探したが、イエスを見つけることはできなかった。 それでイエス様を探しに船に乗ってボナウムまで行く。
2. 群衆がイエスを捜している理由
26 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、
しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
1) しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
(1) しるし(σημεῖον)
*ヨハネによる福音書の7つのしるし
1)カナの婚礼(2:1-11)、 2)王の役人の息子の癒し(4:46-54)、3)38 年間病気で
苦しんでいる人の癒し(5:1-18),4)供食(6:1-15),5)水上歩行(6:16-21),
6)盲人の癒し(9:1-41),7)ラザロの復活(11:1-12:11)
*しるし (semeion)の意味
しるし、前兆、表示、暗号などと訳しているが、この単語の共通的意味は
現在や未来の何かを表し、例示する特別で超越的な出来事、事、などについて話している。
結局、しるし (semeion)はイエスがキリストであることを神聖を表していることを
知らせている。
イエス·キリストに人格と人生に従うためのものでもある。
(2) パンを食べて満腹したからだ。
* 自分の必要を満たしてくれる存在としてイエス様にしたいのだ。
* 病気や空腹から立ち直らせる方としてしたいものである
(3) 自分たちの王にしたくて
15 イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。
* イエス様を王に立て、自分たちの国を建て権勢と富貴をの楽しみたいのだ。
3. 群衆が望む食べ物とイエスが望む 働き
27 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物の
ために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、
人の子を認証されたからである。」
(1) 朽ちる食べ物
*一次的には食べ物を言い、広い意味としては世の中に属するすべてのものに対する
比喩的表現 *朽ちる食べ物は悪いことではない。 長く積んでおいても無駄なものを指すだけだ。 *この世を生きる間は有益だが、永遠の命に至るには何の有益も与えられず、
死後は何の役にも立たないのが朽ちる食べ物である。
(2) 永遠の命に至る食べ物
*イエス·キリストを意味する。 *腐らず 永遠の命に至る 食べ物 を 人の子 が与える。 人の子は父なる神様が認証された方である。
* 認証された(σφραγίζω)
盗用等を防止するための標識、紋章、封印、塗装、(所有又は真偽のための標識の) 「 印 」という意味の「スッフラギス」(σφραγίς))に由来する動詞形で、「 認証された、
安全または保存のため印を押す、保存する、証明する、印封する、隠す、秘密を守る、
確証する、疑う余地がない」という意味を持つ単語である。
*イエスは自分を私たちへの贈り物としてくださった方だ。 自分のために生きずに、
自分を惜しげもなく差し出してくださった。 命までも!これが 永遠の命に至る食べ物 である。
2. 信仰を持って生きるということは?
28 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
1)誤解
*私たちができることではない。 神が主導した事に参加することである。
2) 永遠の命に至る食べ物のために働き久野は何を意味するのか?
29 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」
*永遠の命を与えるためにこの地にいらっしゃったキリストを通じて天に願いを込めながら
生きていくのだ。 *信仰とは委ねることである。 信じることは、神様に委ね、神様が私たちを通じて神の業が行うために私を捧げることだ。
これが神の働きをするという言葉に込められた意味だ。 *イエスを信じるということは、礼拝に参加、献金、奉仕、聖書黙想のような宗教行為その
ものではない。 信じるということは従順で従うという行為だ。 この世でイエスの人生に見習い、その方について生きていくのだ。
3. 人の国と神の国
1) 人の国
自分が持つ力が国の法になり基準になる国が人の国だ。
2) 神の国
神の国は愛と平和、公平と正義の生きている国だ。
* イエス様を信じるということは、神様を反逆した私たちのすべての罪が許されることであり、再び神様を愛し、敬い、私が中心ではなく神様が中心となった人生、福の源となる人生を生きる神様の民になるということだ。
4. 神の国に対する熱望
*私たちが神の国を信じるために神の国を表す人生を生きなければならないのではなく、
神の国に対する熱望があってこそ自然に現われるのだ。
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