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教会はProtestantです。

Protestantの意味は「抵抗する」です。

教会はなぜProtestantになる必要があったのでしょうか?

何に対する抵抗だったのでしょうか?


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中世時代の聖書は誰もが読むことができませんでした。

なぜなら、聖書はラテン語で書かれていたからです。

大多数の人々はラテン語を知らなかったし、教会ではラテン語以外の言語で翻訳することを禁止しました。

聖書はそうして教会の専有物になってしまいました。

ラテン語を知らない平信徒は、司教が言うことを信じるしかありませんでした。

平信徒は司教に利用されても、自分たちが利用されていることに気づくことができませんでした。その中で有名な事件がおきます。それは、免罪符事件です。

免罪符とは、単に免罪符を買った人だけの罪ではなく、彼の両親や親戚の魂さえ、免罪符を買ったとされて、そのお金が金庫に落ちて じゃらじゃらいう音とともに救われるという仕組みです。

彼らはこの免罪符を買えば、聖母マリアをレイプしてもきれいに許されるほどの効力があるとまで宣伝していました。

宗教改革者たちは、ローマ皇帝とローマ・カトリックの指導者に教会のやり方が間違っていると抗議しましたが、受け入れられませんでした。

ローマ教皇庁は抗議した彼らを「Protestant」(抗議する者)という名前で呼び、これが現在のプロテスタントとなったのです。

このようにプロテスタント教会のアイデンティティは、上記に書かれているプロテスタントです。


Protestantは、正義でなく、正しくないものに対して抵抗する者です。

どんなにゴリアテのように強い敵であっても、妥協したり逃げたりせず、その前に堂々と立ち向かう勇気を持つ者です。

ある主人は5タラントと2タラントを僕に与えます。

そして僕たちは、主人が帰ってきたとき、それぞれ5タラントと2タラントを残して渡しました。

主人はそんなに多くの利益を残した僕たちに、善良で忠実な僕だと褒めます。

当時の金額として、タラントは想像もできない程大きなお金です。

奴隷たちは自分たちに与えられたお金で膨大なタラントを残しました。

貧しい農民が住んでいた時代、一日一デニリオンも稼げない時代、彼らはどこで5ダラトン、2タラントを残すことができたのでしょうか。

彼らはどうやってこんな大きなお金を稼ぐことができたのでしょうか?


当時、お金を稼ぐ最も簡単な方法は高利貸しでした。

お金を返せなかったら持っていた土地を売らなければならず、売る土地さえなければ奴隷になるしかありませんでした。

ところが、今日一タラントをもらったある僕は、そのお金を静かに地面に埋めてしまいます。

彼の行動は間違っていたのでしょうか?

彼は怠け者だったのでしょうか?

主人が来たとき、彼はそのお金をそのまま返し、こう話します。

『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていました。』

主人は自分を責める奴隷にこう話します

「そうだ。君は私を正確に見た。 そんなに私のことをよく知っていれば、私が預けたお金でお金遊びをする業者に預けてでも元金と利子を作っておくべきだったのではないか」

誰かの人生を壊してまで自分の利益を取ることが正しいのでしょうか。

この僕は、受け取ったお金を地面に埋めることによって、主人の不義に抵抗したのではないでしょうか?

彼は誰かの人生を搾取してまで利益を取りたくなかったのではないでしょうか?

正しいことを選び、正しい通りに生きるために抵抗したこの僕はどうなったのでしょうか。


彼はすべてを失い、暗いところに捨てられました。

人々の目には、彼は失敗した者に見えたでしょう。

この本文を解釈する時も、彼は神に捨てられた者と解釈することもあります。

正しく生きることが馬鹿を見ることになるでしょうか?

では、彼の抵抗は失敗したのでしょうか?


驚くべきことは、タラントのたとえは30節で終わっていないということです。

31節ここに隠された秘密があります。 それは接続詞δέ(しかし)です。

今日の本文に、この接続詞が抜けていたのです!

では31節のしかしを加えて46節まで読んでみましょう。

祝福される者は誰でしたか?

飢えた者、裸の者、病気の者を見捨てず、彼らの涙を拭き、彼らの必要を満たすために抵抗した者です。

そして、この地に飢えた者、空腹の者、裸の者、病人として来られた神に仕えた者です。

神は、知っている通り、正しく生きるために奮闘した彼らこそ、神の国に入り永遠に生きる者であり、その人こそ神の国に王として立てられる者だと聖書は記録しています。

この世界を一瞬でも輝かせた人物がプロテスタントであったことをご存知ですか?


奴隷を解放し、黒人や女性、子供たちが搾取されないように皆が平等な世界を作るために、皆の人権が尊重される社会を作るために努力してきました。

今日の御言葉は、不義を拒否する聖徒に「私があなたと共にする」という祝福の約束がこの御言葉に込められています。

世界は貪欲で暴力的な人々の手にとどまらず、極めて小さいながらも勇敢に真実を語る人、主の来臨を待って忍耐する人々の国になるでしょう。

少しだけ勇気を出しましょう。教会共同体は、まさにこのような神の国のために召されています。

私たちの真の主である十字架のキリストが私とあなたを助けてくださいます。

 
 
 

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