主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇き
- k2simple1
- 2024年12月8日
- 読了時間: 4分

熟した夏の果物が一籠置かれている。 甘い香りが鼻先をくすぐる。しかし、その果実は終わりを告げるものだった。もう、それ以上の実りはない。神はため息をつきながら告げられる。「わたしの民イスラエルに終わりが来た。もう、わたしは彼らを赦さない。」
かつて笑い声や陽気な歌声が溢れた王宮は、一瞬にして泣き声で満ちた。人々は自分たちの目の前で崩れ落ちていく世界を見て恐れおののいた。誰かが手を差し伸べて救いを求めたが、それに応じる者は一人もいなかった。死体があちこちに横たわり、大地は静まり返った。あまりにも巨大な絶望がそこを覆い、泣き叫ぶ声さえも呑み込む沈黙だけが残された。
貧しい者たちの嘆き彼らは地面で腰を折り、全身に埃をかぶっていた。「私たちが何を間違えたというのか?」声は震え、その頬には乾いた涙の跡が残る。何も持たず、一日一日を必死につないで生きる人たち。明日など存在しないかのような人々。
彼らが施しを求めて差し出す手を、富者たちは嘲笑した。「彼らに与えるものなどない。あれらは我々のために働き、やがて倒れるだけの存在だ。」
富者たちにとって、貧しい者たちは「商品」だった。銀数枚、あるいは履き古した靴一足の値段で買い叩くことができる存在。生きた人間ではなく、物にすぎなかった。
しかし貧者たちは諦めずに叫んだ。「どうやって生きればいいのか?どうやって耐えればいいのか?」
だがその叫びに応える声は、どこからも聞こえない。頼るべき人々も、彼らが信じるはずの神さえも、まるで彼らを見放したかのように思われた。
審判の日、真昼を覆う闇その日は、何事もない平凡な朝で始まった。空は青く、太陽は輝いていた。ところが、突然空は暗転する。真昼であるはずなのに太陽は姿を消し、世界は漆黒の闇に包まれた。大地は揺れ裂け、荒れ狂う川は全てを飲み込むかのように増水した。人々は目を覆い、悲鳴を上げた。「何が起きたのだ?誰が我々を救ってくれるのか?」
だが、彼らを救う者は一人もいない。
華やかな衣は剥ぎ取られ、粗い麻布を身にまとう人々は震えながら地面にひれ伏した。頭髪を剃り上げた人々は、ひとり子を失った時のような嘆きを上げた。この日は世界が完全にひっくり返った日だった。人々はもはや自らの誇りを語ることもない。絶望だけが彼らを支配していた。
御言葉を得られなかった理由人々はよろめきながら神の言葉を求めて彷徨った。海から海へ、北から東へと。「神よ、どこにおられるのですか?我々に答えてください!」
しかし、彼らは神の声を聞けなかった。
彼らが求めたのは、神が与えようとする言葉ではなかった。彼らは自分たちに祝福や繁栄を約束する言葉だけを欲しがっていた。神の正義や公正、弱き者を顧みよという言葉は聞こうとしなかったのだ。
その心はすでに閉ざされていた。神の言葉は彼らから遠ざかり、神の沈黙はさらなる審判となった。
彼らは神の御心を尋ねなかった。まるで愛を与えると口にしながら、相手の望みではなく自分たちが決めた形でのみ愛を押し付けるように。神が差し出す愛を拒み、自分たちの定めた枠に囚われて愛を歪めてしまった。
彼らが求める言葉と、神が与えようとする言葉は決して同じにはなり得なかった。だからこそ、彼らは見出せなかったのだ。
私たちが聞くべき言葉今日、私たちは何を求めているのだろうか?私たちの礼拝は、神が望まれるものを内包しているだろうか? それとも自分たちの欲望を満たすための道具に堕してはいないだろうか? 神は今も語っておられる。「正義を行え。抑圧された者を解放し、弱き者を顧みよ」と。しかし私たちは、その声に耳を傾けようとしない。
貧しい者たちの叫びは今も聞こえてくる。「我々の苦しみはいつ終わるのか?」
その叫びに応える生き方をするとき、私たちはようやく神の沈黙から抜け出せる。神が望まれるのは、華美な礼拝ではなく、正義と公正が息づく生なのだ。
神は今日も問いかける。「おまえたちはわたしの言葉を求めているのか? それとも自分たちの欲望を正当化する言葉を探しているのか?」
私たちは神の前で自らに問いかけねばならない。「私はどこへ向かおうとしているのか? 私は誰の声に従っているのか?」
そして私たちの生が弱き者の涙を拭い、その手を握り支える生へと変えられるとき、神の言葉は私たちの内に再び息づくだろう。その日、審判の闇ではなく、神の光が再び私たちに降り注ぐのである。
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