主の祈りー國と力と榮えは,とこしえにあなたのものだからです.ア ― メン.
- k2simple1
- 2022年8月20日
- 読了時間: 3分
マタイによる福音書 6:13
國と力と榮えは,とこしえにあなたのものだからです.ア ― メン.
国とは何か。
国とは神様が王として治める国、神様の国だ。
権勢とは何か。
能力だ。神様がその国を治めて維持し、その民を福にする能力だ。
栄光とは何か。
すべての被造物がイエス·キリストを神様と告白することが神様に捧げる栄光だ。
祈りとは何か。
祈りは愛する神様とただ一緒にいる時間だ。
アーメンとは何か?
アーメンの意味
1)アーメンは私たちが今、主に求めることが確実に叶うと信じています。 という祈りの応答に対する確認と告白だ。
2)私たちが祈る通りに叶うと信じています。 という意味だ。
3)私もそう思います。 その言葉は果たして正しいです。 と同意する時、アーメンという。
4)それが真実であることを強調する意味を持つこともある。
5)
詩篇106編48節はこのように言う。 イスラエルの神、主をたたえよ/世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ。
この場合のアーメンは、私が神を讃えます。 と話し、その言葉通り献身して忠誠するという決断を表現し告白することだ。
この場合は決断し献身し忠誠に近いアーメンである。
アーメンという言葉をどれだけ多く話すのか、どれほど大きく話すのか、それが重要なのではなく、アーメンという言葉を話す時に本当にその言葉が含んでいる意味を知り、自分の中心から話すのか、それが重要だということだ。
私たちが共同体として共に主の前にささげたこの祈りは確実にそのままなされ、私たちはそれに同意し、またこの利己主義がそのままになるよう私たちが忠誠し献身します。 する決断と献身の表現だ。 したがって、神様が教えてくださったこの祈りを終えながら、私たちはアーメンを大きくしなければならない。
アーメンは口の告白だけでなく人生だ。
アーメンは口でやるものですが、口で止まってはいけません。 心で信じて義に至り、口で告白して救いに至るとおっしゃった。 ロマ10:10
行いのない信仰は死んだ信仰だとも言われた。ヤコブ2:26
ウルグアイのある聖堂の壁に書いてあるという祈り文 君たちは「天にいる」と言うな。 いつも世の中のことだけに夢中になっていながら 「私たち」と言うな。 いつも一人だけを思いながら 「父」と言うな。 一度も息子と娘として生きたことがないのに 「 御名があがめられますように。」と言うな。 いつも自分の名前を輝かせようと必死でありながら 「 御国がきますように」と言うな。 物質万能の国を望みながら 「 みこころが天に行われるとおり」と言うな。 いつも僕の意思が叶うことを願いながら 「 必要な糧を今日与えてください。と言うな。 財産を蓄えておいたくせに 「 わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。」と言うな。 いつも憎しみと恨みを抱いていながら 「 わたしたちを誘惑に遭わせず、」するな。 いつも罪を犯す機会を探しながら 「 悪い者から救ってください。」と言うな。 悪を見ても何の良心の呵責も感じずに 「アーメン」と答えるな。 神様の祈りを本当に私の祈りとして捧げたこともないのに
祈りは当然私たちを行動に導く。
考え方が行動を規定する.
いくら話が上手でも、その人の人生が間違っていれば、その人の言うこととその人の考えは違うという証拠だ。
人々は祈りが何も変えられないと思っている.
祈るからといって人が変わらないと、祈りで教会を新しくすることはできないと話す。
世の中を変えるのに祈りは無力だ」と話す。 その祈りは主の祈りはないためだった。
主の祈りは人を変える。
主の祈りは教会を蘇らせ、立ち直らせる。

コメント