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主の祈り-天におられる

マタイによる福音書6:9

<天におられる>


1.神様は私たちの父としてどんな存在でしたか。

賢く、強くて、すべてのことができる方で、私たちへの深い愛で

私たちを守って下さり、私たちのために喜んで犠牲することを厭わない方です。


2.神様が私たちの父になるということはどんな意味でしたか。

「私たち」には私が主日ごとに出席する教会が含まれる。

 私たちのそばにまたは前にいる兄弟姉妹が「私たち」なのだ。

 しかし出席する教会だけでなく他の多くの教会も含まれる。

 その教会だけでなく、神様を父だと祈る数多くの人で構成された遠い国の他の教会もある。

 知らずに思ったこともないが、私たちは父になる神様に向かって祈っているのだ。

 私たちが 一つにであることは神様の恵みである。


罪は私たちを一つにならないように分裂させる。

それでイエスは別れたすべての関係を回復させるために私たちに来られた。

壊れてしまった神様と私たちとの関係壊れてしまった人と人の関係を再び回復させるために

この地に来られた。

「(私たち)」はどういう意味か? 性別、国籍、肌色、言語、社会階層が違っても神様の中に私たちは

一つとなった存在だということだ。


3.天

1.神は区別された存在だということだ。

神様と人は全く違う次元の存在だ。

神様の心をおっしゃっている。 私の考えがあなたたちの考えと違い、私の道はあなたたちの道と違うから、これは空が地より高いように私の道はあなたたちの道より高く、私の考えはあなたたちの考えより高いからだ。(イサヤ55:8-9)

人は有限だ。 しかし神様は永遠な方だ。

また神様は神様は全知全能で無尽蔵です。

また、神様は人が作った偶像に閉じ込められている存在ではない。

また神様はすべての万物を創造した創造主である。

そのため、神様が創造されたすべての被造物には神様の創造の跡がついている。


それで私たちは神様が作った創造世界を通じて神様の痕跡を見つけることができる。

ローマ書1章20節

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。


神様が創造された生命体を詳しく覗いてみれば、どれほど精巧な作品なのかが分かる。

しかし神様との関係が切れてしまった人は私たち自身が神様の驚くべき作品なのかを

忘れてしまった。私が誰なのかを忘れてしまったので、

それで私は自分が誰なのかを探そうと努力する。

ある人は他人と比較しながら自分自身を立証しようと努める。

社会的位置、卒業した大学、乗って通う車、家、財産、名誉、人気など

そんなに努力しなくても私は私としてすでに神様の驚くべき作品なのに私たちは皆そのような存在なのに自分自身をそう探そうと努力する人もいる。


蚊も花も地球上に存在する生命体をじっと覗いてみると、どれほど美しいか。

神様が創造されたすべての被造物は美しい。

ここにいる私たち皆美しい存在だ。


また、私の父が天にいるということは神様はいつもそこにいる父だということだ。ー放蕩息子の父

神様を父親と呼ぶ言葉は、神様は私がいつでも訪ねて父親、と呼ぶことができ、何でも出して話すことができ、要請できる方だということを知って祈れということだ。

反面、神様は天におられるという話は神様は私とは違う方で高い方です。

超越的な方であり、その能力と権威が限りない方です。

威厳の優れた方であり、立派な方だということだ。


私たちはそのような天の父に祈る特権を持つ者たちだ。

だから私たち残った2022年、空にいらっしゃる私の父に祈りを始めよう。

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