目を覚ましていなさい
- k2simple1
- 2022年2月26日
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更新日:2022年3月5日

マタイによる福音書24章42-51節
1. 目を覚ましていなさい
マタイ24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、
あなたがたには分からないからである。
マタイ24:43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを
知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
マタイ24:44 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
神様がいつの日、主が帰って来られるのか分からないから目を覚ましていなさいと言う。
その時をその日を待ちながら目を覚める人生を送るとは何だろう?
2. 神様が探し求める僕
1) 忠実で賢い僕とは?
マタイ24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることに
した忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
時間->καιρός
ギリシア語で時間はクロノス(chronos)とカイロス(kairos)がある。
クロノスは順番に流れる時間だ。 まるでと時計やカレンダーのようだ。
カイロスは変化と再創造の機会だ.
カイロス(kairos)は、「時間は意味がある」と言う。 今この瞬間が人生で重要な瞬間だと
言う。 時間はたとえ流れていくものですが、時間に特別な意味がある時に、この意味のある
時間を「カイロス」と呼ぶ。
* 主人が訪れる者は忠実で賢い僕だという。
忠実で賢い僕は、主人の御旨通り、時間どおり彼らに食事を与えさせることができる者だという。
時間が経って季節が変わっても、自分に与えられた任務を誠実に果たす者だという。
そのような人は、まさに今この瞬間を人生で重要な瞬間と考えて生きていく人だろう。
(1) 忠実で賢く生きた人たち
南スーダンで宣教活動をしていたイテソク神父がトンズという小さな村で医者として神父として
子供たちや病人の面倒を見るだけではなく、戦争と貧しさと病気で苦しむ彼らに希望を持たせるために管楽隊を作るなど自分ができること以上をしながら生きてきた彼の人生
また、日本に中村哲さんがアフガン人のために医師として病人の面倒を見ますが、それだけが
ではなく、最初からアフガン人が汚い水を飲んで病気にならないように彼らに新鮮な水を供給するために畑の生産と用水路設置することに力を注いだ彼の人生を見て、
そして数多くの宣教師の方々が地域の人々と溶け合い、一緒に生きる人生を見て
宣教師として生きる人生とは、彼らの人生の中に溶け込み、共に生きていくのだった。
(2) 光と塩と香りとして生きる人生
光り輝く人生とは、私が輝くものではなく、光を照らすものだ。
塩の人生とは、自分が塩であることを表すのではなく、その中に溶け込んで調和させるものであり、
隠されていた存在感を表すものである。
香りの人生とはどんな臭いでもナードの濃い香りに包まれて誰にも差別されたり、
疎外されないようにするということを、その人々は自分の人生を通じて見せてくれたのである。
2) 幸いな僕とは
マタイ24:46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
マタイ24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
*主人がいる時もいない時も、自分に与えられた仕事を誠実に成し遂げる 誠実に行う者が
幸いである。
この幸いが何であるかよくわからない
しかし、一つ確かなことは、神様の時を待ちながら生きる人生とは、私に与えられる役目を誠実に生きること、それが私の人生を意味のあるものにすることであり、正しいことだということ、
それが私にとって幸いになる。
3. 悪い僕
マタイ24:48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、
マタイ24:49 仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
マタイ24:50 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
マタイ24:51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて
歯ぎしりするだろう
1) 予想しない日、思いがけない時
マタイ24:50 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
* 予想しない日 ->ἡμέρα(昼の時間)
* 昼間、すべての僕が自分に与えられた仕事を誠実にする時、悪い僕は何もしなかった。
いや、悪い僕は主人の役割をしながら、他の僕を虐待し、酒に酔っていた。
彼は他の人たちの起きている時間に酔っていた.
彼は与えられた任務を果たすべき時間に酔っ払っていた.
彼が酒を飲んだのが問題ではない。
昼の時間、自分に与えられた任務を果たさなければならない時に何もしないことが問題だ。
主人がいない時に忠実で賢く自分の任務を果たさなければならない時に、むしろ他人を抑圧し虐待し支配する悪しき主人の役割をすることが問題である。
<ロバート·バンクス1世紀キリスト教徒の宣教物語>
回心したプブリウスは、彼が行う銀行業務においても、経済事情の厳しい者を先代し、正直かつ誠実に仕事をすることで周辺の人々に信頼感を与え、彼が日常で使う対話、僕に接する態度は、確かに当時の人々とは区別される姿だった。
大きな影響力を行使する人生でなかったとしても、そのようなキリスト者の人生は明らかにローマを変化させたのだ。
* 目を覚ましていなさいという言葉は、私たちにある大きな信仰を求める言葉ではなく、時に従って日常の中で自分の役割を誠実に生きろということだ。
切迫したその日がいつなのか分からないが、私たちにできることは、私たちに与えられた私たちの人生を誠実に生きることだ。
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