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アモスの祈り




アモス7:1−9

イナゴの災い: 第一の幻

イスラエルでは4月と6月の二度の収穫が行われます。しかし、第一の収穫は王や支配層の取り分であり、民は第二の収穫にのみ頼って生活を送っていました。もし第二の収穫が失敗すれば、民は飢えと苦しみに陥るほかありません。

神は第二の収穫の時にイナゴの災いを示されました。これは単なる自然災害ではありませんでした。第一の収穫は王と貴族のもので常に確保されていましたが、第二の収穫は民の生活を支える唯一の希望でした。神はイスラエルの不正な体制を明らかにするため、イナゴの災いを通じて貧しい民の苦しみを強調されました。イスラエルの指導者たちは民の飢えと苦しみに無関心であり、自分たちの私利私欲のためだけにこの不正な体制を維持していました。

アモスはこの災いを見て心を痛めました。そして神に向かい、切実に祈り求めました。「主よ、ヤコブは弱き者です。どうして耐えられましょうか?」神はその祈りを聞き入れられ、裁きを止められました。このように、神の決定が祈りによって変わる姿は、祈りの力と神の憐れみがいかに大きく驚くべきものであるかを示しています。

2. 不義な体制への火: 第二の幻

第二の幻は火の災いです。この火は単なる火ではありませんでした。海と陸をすべて焼き尽くすほどの巨大なもので、イスラエル全土を飲み込む準備ができていました。海すら干上がり、大地が灰と化す場面は、すべての生命が絶たれるような絶望的な災いでした。

この災いは、イスラエル社会に深く根を下ろした不義を明らかにします。本来民を守るべき王や指導者たちはその苦しみに無関心であり、聖所は腐敗し、外見だけが残った形式的な礼拝で満ちていました。正義と公義が崩壊した体制の中で、神の裁きは必然でした。

アモスは再び神の前にひれ伏し、祈りました。彼は民の罪を正当化することはせず、ただ神の憐れみを求めて切に叫びました。「主よ、ヤコブは弱き者です。どうして耐えられましょうか?」アモスの祈りは切実で必死な叫びでした。驚くべきことに、神は再びその祈りを聞き入れられ、裁きを止められました。

3. 垂直の測り縄: 第三の幻

第三の幻では、神は測り縄を手に持たれていました。測り縄は壁がまっすぐ立っているかを確認する道具です。しかし、神の測り縄は単なる壁を測る道具ではありませんでした。それはイスラエルの信仰と生活を測る神の基準でした。

イスラエルは神の基準に適っていませんでした。彼らの聖所は腐敗し、外見だけが残り、礼拝は形式的に行われていました。王宮は本来正義と公義に基づいて統治されるべきでしたが、民の苦しみを無視し、偽善と欲望で満たされていました。神はイスラエルの城壁がすでに傾いて修復不可能な状態であることを宣言されました。「もはや待つことはできない。」イスラエルは滅びの運命にありました。

アモスは南ユダ出身でありながら、北イスラエルのために涙ながらに祈りました。彼は彼らの罪を正当化することなく、ただ神の憐れみを求めて嘆願しました。彼は民の苦しみと滅びを無視することができませんでした。「彼らがどれほど堕落していようとも、神よ、どうか彼らをお赦しください。一度だけでも機会を与えてください。」

神はその祈りを聞き入れられました。すでに裁きを決定されていたにもかかわらず、アモスの切なる祈りに心を動かされました。

神は今も私たちの祈りを聞いておられます。私たちの声に耳を傾けられ、すでに定められた計画でさえも祈りによって変えられます。たとえ祈りが未熟であろうと、真心が込められた一言の叫びで十分です。神は私たちの心を見逃されることはありません。

祈りは世界で最も力強い力です。アモスは祈りによって神の憐れみを引き出しました。私たちも祈らなければなりません。神が私たちの祈りの中で働かれ、正義と公義が実現されるように、私たちの心と生活を神に捧げる必要があります。

「主よ、私たちを憐れんでください。この地に正義を打ち立ててください。」この祈りの中で、神の御心がこの地に現れるでしょう。

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