わたしだ。恐れることはない
- k2simple1
- 2022年3月5日
- 読了時間: 6分
ヨハネによる福音書6:16−21
1.背景

ガリラヤ湖(海)
南北21km、東西12km、周囲53km、深さ44m
パン五つと魚二匹の奇跡を体験した群衆が、イエス様を王様にしようとすると、人々を避ける。一人でまた山にいかれた。そして弟子たちは、日が暮れた時にカファルナウムに船に乗って移動した。
ヨ6:16 夕方になったので、弟子たちは
湖畔へ下りて行った。
ヨ6:17 そして、舟に乗り、湖の向こう岸の
カファルナウムに行こうとした。
既に暗くなっていたが、イエスは
まだ彼らのところには来て
おられなかった。
まだ οὔπω(うぽ): 時のたつ中で時のたた
ない状態
2. イエス様の不在
1) 弟子たちが向き合った現実
ヨハネによる福音書で初めて、イエスと離れた弟子たちの姿が描かれる。
ヨ6:18 強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。
急にだれも予想できなかったことが起こった。
さっきまで「パン五つと魚二匹の奇跡」を通じて奇跡を体験した。
ところが突然、嵐に遭ったのだ。
弟子たちは櫓をこいで嵐から脱するために渾身の力を注いだだろう。
弟子たちは怖かったはずだ。 怖かっただろう。
思いもよらなかった波風は、自分たちが乗った船を平気でひっくり返すこともできたからだ。
*私が手に負えない予想外のことが起きた時、怖くて怖いのは当たり前のことだ。
いくら「パン五つと魚二匹の奇跡」を体験したとしてもだ。
2) 弟子たちの恐怖
ヨ6:19 二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に
近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。
スタディオン
1στάδιον(スタディオン)-約192m/ 25-30στάδιον= 約5-6km
ガリラヤ湖 の東西 幅の中で最も広い場所が12kmなので、
弟子たちは今、海の真ん中にいるのだ。
弟子たちは揺れ動く海の上で苦労して 櫓を漕いでいるが 、彼らの努力もにもかかわらず
変わることは何もなかった。
「目の前が全く見えない状態で長いトンネルを渡るように絶望的な状況に置かれている。
3) 弟子たちはなぜ恐れたのか
マルコ6:52 パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。
マルコによる福音書ではパンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたという。
「パン五つと魚二匹 」の奇跡は、数時間前に教え子たちが経験した事件だった。
彼らの目で見たし、彼らの口で食べ物を食べたにもかかわらず悟らないことがあった。
何だったんだろう。
* 弟子たちは大きな風が吹き、大きな波を彼らは恐れている
暗い夜、強風が吹き荒れ、波によって 波によって船が転覆しかねないその状況の中で、いくら「パン五つと魚二匹の奇跡」を見て体験したとしても、誰もが恐れる状況だった。
また、そのような状況の中で、人が水の上を歩く姿を見ると彼らは恐れた。
それでは弟子たちは何に気付かなかったのだろうか。
3. わたしだ。恐れることはない
ヨ6:20 イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。
わたしだεγω ειμι(エゴエイミ)
出3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしを
あなたたちに遣わされたのだと。」
1) εγω ειμι
(1) 海を制する存在
ヨブ9:8 神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。
詩編18:16 主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し/あなたの怒りの息に世界はその基を示す。
今日本文でイエス様は自分を (εγω ειμι: わたしだ) 神様でなることを言っている。
イエス様が一緒にいらっしゃらないと思っていましたが、イエス様は弟子たちを見ていて、
弟子たちを救うために嵐の中へ弟子たちのもとへ行った。
そしてイエスは弟子たちにこうおっしゃった。
マルコ6:50b 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
バベロンに連れて行かれて苦しむイスラエルにとって最も大きな悩みは、まさに「神は私たちを捨てたのか」という質問だった。 そんなイスラエルの民に神はこのように言った。
イザヤ41:9 わたしはあなたを固くとらえ/地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたは
わたしの僕/わたしはあなたを選び、決して見捨てない。
イザヤ41:10 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
イザヤ41:13 わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う/恐れるな、
わたしはあなたを助ける、と。
イエスは、恐怖に震えている弟子たちを安心させ、勇気を与える。
バベロンに連れて行かれて苦しむイスラエルにとって、 最大の恐怖と悩みは、
「神は我々を見捨てたのか」という質問だったのだろう。 神はこうおっしゃった。
「わたしはあなたを選び、決して見捨てない」
そして「神様が私たちと一緒にされるのか?」という質問に、神様は
「 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。」とおっしゃった。
そして今日、波風の中で驚き、恐れる弟子たちに向かってイエスはこうおっしゃった。
マルコ6:50b 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
(2) 羊飼い
出エジプトの時、荒野で食べるものがなく飢えた民にマナを与え、すべての人を食べさせた方が
神様であったようにイエス様は飢えた民のためにパン五つと魚二匹を通じて彼らを食べた。
エゼキエル34:12 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、
わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、
すべての場所から救い出す。
エゼキエル34:13 わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。
わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。
エゼキエル34:14 わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。
彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。
エゼキエル34:15 わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。
イエス様の群れを食べさせた奇跡が、道に迷った羊の群れに食べさせた奇跡が、道に迷った羊を探し求め、世話をする神の世話のようだ。
* マルコは恐れをイエス様を神様として悟ることができなかったためだと言うようだ。
「パン五つと魚二匹」を通じて、出エジプトの時にマナを通じて食べさせたその神様が、今日「パン五つと魚二匹」を通じて飢えた多くの人々のお腹を満たしてくださったことを
紅海を渡って海を支配する方が神様だったように、今日の暴風に逆らって私たちに来られた方が神様であることを悟ることができなかったからそう言ったようだ。
我々は信仰として何度も倒れることもある.
ところが倒れないことが私たちの信仰の最善だろうか。
倒れずに耐えられればいいが、世の中は我々を放っておかない。
予想できなかった波風が私たちの人生を襲う時、私の手に負えない苦難が私を襲う時、
私も知らないうちに落ち込む時がある。
ところが、我々が信仰持って生きるということは、もしかしたら倒れないで耐えることではなく、
倒れた時にまた立ち上がるのだと思う。
「我々の目標は倒れないで行くのではない。
私たちの目標は倒れても神様に行くことだ。
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