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「わたしだ、恐れることはない」

更新日:2024年7月17日

ガリラヤ湖の上、暗闇が深く広がる夜。強い風が吹き荒れ、波が激しくうねり、弟子たちの乗った船を揺さぶっています。水しぶきが空高く舞い上がり、海はまるで狂暴な怪物のように船を飲み込もうとしています。弟子たちは全身の力を尽くしてオールを漕いでいますが、船は前に進まず、彼らの努力は無駄になっています。彼らの顔には恐怖と絶望が溢れています。



突然の嵐は予告なく襲いかかりました。弟子たちはイエス様の奇跡を直接見た経験がありますが、今この瞬間、彼らは無力です。彼らは嵐の中で方向を失い、恐怖に捕らわれています。船は激しく揺れ、彼らの心も一緒に揺れ動いています。


その時、暗闇の中に何かの形が見えました。誰かが荒れ狂う波の上を歩いてきています。弟子たちはそれを見て幽霊だと思い、さらに大きな恐怖に捕らわれます。


私たちの人生も同じです。私たちは人生の旅を歩んでいると、予告なく訪れる問題に驚き、恐怖を感じます。突然の失業、予期しない病気、人間関係の葛藤、そして自然災害などの問題が私たちの日常を揺さぶります。このような状況で、私たちは嵐の中で方向を失い彷徨う弟子たちのように無力感を感じます。


しかしその形は近づき、はっきりとした声で叫びます。「わたしだ、恐れることはない。」この言葉の意味を知るためには、出エジプト記3:14を読む必要があります。


出エジプト記 3:14 神はモーセに言われた。「わたしはいる、という者だ。」また言われた。「イスラエルの子らにこう言いなさい。わたしはいる、という者が私をあなたがたのところに遣わしたと。」


イエス様が「わたしだ、恐れることはない」と言われたこの言葉の中で「わたしだ」はギリシャ語で「エゴ エイミ(ἐγώ εἰμί)」であり、これは「私がそれである」という意味です。これはイエス様がご自身を旧約の神と同一視される表現です。神はご自身の名前を「エヒエ アシェル エヒエ」とされました。


この表現は、神が変わることなく、永遠に存在し、働かれる方であることを示しています。これは数百年にわたる奴隷生活に疲れたイスラエルの民の叫びを聞かれた神がご自身を現されたのです。イエス様は弟子たちに「わたしだ、恐れることはない」と言われ、ご自身が神であることを宣言されました。この言葉は私たちにも同じように適用されます。神が常に私たちと共におられ、私たちを守ってくださるという約束を思い出すのです。私たちが経験するすべての恐怖と困難の中でも、イエス様は変わらず私たちを見守ってくださいます。


私たちが信仰を持って生きていると言いながらも、転ぶことがあります。しかし、倒れないことが私たちの信仰の最善でしょうか? 倒れずに耐えることが良いですが、世の中は私たちを放っておきません。予期せぬ嵐が私たちの人生を襲い、私が耐えられない試練が私を覆うとき、知らず知らずのうちに膝をつくことがあります。しかし、信仰を持って生きることは、倒れずに耐えることではなく、倒れたときに再び立ち上がることかもしれません。だからこそ、私たちの信仰の目標は倒れないことではありません。倒れても進むことです。パウロの告白のように、私たちが走るべき道を終えるまでです。


テモテへの第二の手紙 4:7-8

「私は良い戦いを戦い抜き、走るべき道のりを終え、信仰を守り通しました。今や、義の栄冠が私のために用意されています。主、正しい裁き主がその日にそれを私に授けてくださいます。そしてそれは、私だけでなく、主の現れを慕うすべての人にも授けられるのです。」


私たち皆が人生の旅の中でイエス様を見つめ、その導きを信じて恐れを克服する信仰の人々になることを祈ります。主が私たちと共におられることを確信し、どんな嵐の中でも勇気と希望を持って進んでいきましょう。「わたしだ、恐れることはない」というイエス様の言葉が、私たちの生活の中でいつも光となることを祈ります。

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