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ルカによる福音書18章15-30 主題impossible->possible

ルカによる福音書/ 18章 15節

イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。人々が 人々は乳飲み子がイエスに触れていただくためにイエス様に連れてくる場面で話から始まる。

人々はなぜイエス様が自分の子供たちを触ってくれることを願ったのだろうか?

当時は幼児死亡率が非常に高かったためだ。

人々はイエス様が病気を治すという噂を聞いて知っていたはずだ。

それで自分の子供たちを治すためにイエス様に連れて行ったのだ。

貧しい彼らにとってイエス様は子供を生かすことができる最後の希望だっただろう。


ところが当時の子供は社会的に低い身分だった。

それで弟子たちが子供を連れてくる両親に向かって激しく叱ったのだ。


しかしイエス様はそのような子供たちを身近に呼ぶ。

第16節 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。

第17節 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」


神の国はこのような幼い子供たちと同じ者のものだ。

社会的にも身分も低く、彼らはまだ幼くて宗教的にも頑張ることができなかった。

それでも神の国がこのような幼い子供たちのものだという理由は何だったのだろうか?

幼い子供たちはただイエス様が呼ぶからイエス様のそばに進んだだけだ。

神の国は宗教的な熱心さがあり、律法をすべて守ってこそ救われるのではない。

神の国は幼い子供のようにイエス様が呼んだ時、イエス様の胸に抱かれるのだ。


ある金持ちの議員があった。

その当時、金持ちは神様に恵まれた存在だと考えた。

その当時、金持ちは人口の1~2%にもならなかったという。

当時99%のユダヤ人は貧しい人々だった。


金持ちの議員はイエス様に永遠の命を得るためにはどうすればいいのかを尋ねた。

そのような議員にイエス様はこう言った22節 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

しかし、 その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。

彼は貧しい人々のために自分のものを分けられなかった.


イエス様はそのような 金持ちの議員を見てこのように話す。

24 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか 25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

彼は権力を持っている金持ちだが、神の国に入るのは難しいということだ。


27節 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。

らくだが針の穴を通る方が金持ちが神の国に入ることより簡単だという言葉は

慣用語的な表現で難しいということだ。

しかしイエス様は、そもそも人ができないことを神様はできると言っている。

古代ミシュナにこのような文句がある。

*神様はその針穴のようなものでも、天空を抱いてくださる。

*空は針の穴より大きくなかった。 しかし、私はそれを通じて地球全体を取り込むことができる。

この言葉は神様にはできるということだ。


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そのため針の穴は不可能だが、一方では小さな可能性でもある。

小さな針穴だとしても神様は地球を巣穴に入れるほどの大きさに広げることができる方だからだ。


人が自ら救いを得ることは、まるでらくだが針の穴を通るように不可能なことだ。

しかし、神様がその針の穴を広げると、宇宙全体を入れるだけの穴になるように

神様だけが人を救うことができる。

神様は不可能を可能にする方だからだ。


最後にザアカイという徴税人の頭があります。

徴税人の頭は大祭司の推薦とローマ皇室に任命された者です。

そんな彼がイエス様がいらっしゃるという知らせを聞いてイエス様を見るために木の上に上がる。

木に登ったザアカイを見たイエス様は、彼にザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」という。

ザアカイは人々に罪人と呼ばれた者であった。

なぜなら彼は貧しい人々に多くの税金を請求したためだ。


ところがイエス様が自分の家に入ってくるやいなや、ザアカイはこのように話す」(8節)

「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

到底ありえない想像もできないことが起きた。


徴税人の頭は大祭司の推薦でローマ皇帝に任命される。

権力を持つ者たちは大祭司にロビー活動をしてきただろう.

ザアカイって違ったのかな? その地位は 大祭司の権限だった.

ところがザアカイはユダヤ人指導者、大祭司の敵であるイエスが教えた通りに行った。

ザアカイは、彼の富だけでなく、自分の権力も手放したものだった。

今、ザアカイにらくだが針の穴を通ることのような軌跡が起きたのだ。

現実では起きられなかった現実が目の前で起きるようになったのだ。

少し前までは 金持ちの議員は自分の財産を貧しい人々と絶対分けることができなかった。

ところが、ザアカイはもし自分が誰かのものをだまして奪ったことがあれば、4倍に返すとまで言う。


ザアカイはこの後に自分に迫ることについて計算しない。

ザアカイは幼い子供たちが遠慮なくイエス様に近づいたようにイエス様を自分の家に招待して

自分ができるすべてのことを尽くしてイエス様を喜ばせる。

ザアカイはイエス様のお言葉が正しいと思ったので、そのまま行っただけだ。

今日イエス様は私たちに信仰はこういうものだとおっしゃっているようだ。


神の国が臨んだ。

その国が臨んだ人の人生はらくだが針の穴を通るのと同じ人生を送る。

ヘブライ人への手紙ではこのような人々を11:38世の中が耐えられない人だという。


今、私たちが生きている世の中でも多くの人が自分たちが持っている既得権または金を持って生活が窮乏し、困難な人たちのために喜んで自分のものを差し出す共に分かち合う人が多くいる。

世の中が不可能だと思うことが、または奇跡が今この瞬間も起きている。


私たちの人生でもこのような奇跡が起こることを願う。

世の中が耐えられない人生を生きていく私と皆さんになることを祈る。

 
 
 

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