BirthとDeathの間
- k2simple1
- 2022年11月19日
- 読了時間: 4分
BirthとDeathの間
皆さん、BirthとDeathの間には何がありますか?
アダムの息子アベルとカインが神様に捧げ物をささげました。
ところが神様はアベルと彼の捧げ物は受け取り、カインと彼の捧げ物は 受け取らなかった。 。
神様にとって重要なのは、捧げ物より捧げ物を持ってきた人がもっと重要だからだった。
詩篇/ 050篇 013節
わたしは雄牛の肉を食べ、/雄やぎの血を飲むだろうか。
この世のすべてが神のものだ。
人が神に捧げるものはすべてのものの一部に過ぎない。
神様への捧げ物の意味は、1)罪からの救い2)家族、隣人との愛と許しと平和のために 3)神様に捧げて残った捧げ物は貧しい者を助け、聖殿で働く祭司長たちと聖殿を補修し守るためにに使われた。
今日私たちが捧げる献金も同じ意味だ。
したがって、この捧げ物で最も重要なのは14節だ。
詩篇/ 050篇 014節
感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き者に果せ。
捧げ物 は感謝の表現だ。
捧げ物 そのものではなく、捧げ物の込められた意味は感謝の気持ちを神様が受け取ることだ。
捧げ物自体が神様にいかなる実際的影響を与えるのではなく、捧げ物をささげる人の心、感謝する心、日常の人生が重要だ。
創世記/ 04章 07節
正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
「望む」の意味は否定的な意味で、自分勝手に操りたい情熱的な心を握って揺さぶることを意味する。 心の中に燃え上がる罪の誘惑があるということだ。
それで神はカインに罪の誘惑を治めるように言う。
創世記/ 04章 09節
主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
質問の意図:ご存知であるのに悔い改める機会を与えることだ。
神様が訪ねてくださるのが恵だ。
それにもかかわらず、最後まであきらめない神様、これが恵だ。
このように神様の愛は理性を超越する。
イスラエルでは兄と弟が差別的な待遇を受けた。
兄にだけ与えられる祝福権と相続権があった。
兄にもっと多く与えたのは、弟と家族の責任を負えということだ。
ところが、ガインは守らなければならないアベルをむしろ殺した。
アベルは弱い者の象徴だ。
今日、私たちには弱者に対する社会的な責任があるとおっしゃっている。
私の目に私の弟アベル(弱者、隣人)が見えなければならない。 私より困っている人たちが目に見えなければならない。
新約聖書を見ると、旧約の613の律法を2つにまとめる。
神を愛しなさい。隣人を愛しなさい。
愛の二重戒めともいわれる。
神様が人間に二度質問をされる。
アダム、あなたはどこにいるか-これは神との関係についてのことだ
(神の顔を避けるアダム)
カイン、あなたの弟アベルはどこにいるのか-社会的責任を問うことだ。
この二つの質問は、私たちにも聞く質問である。
この二つの質問(神との関係と社会的責任)を通じて答えをこたえていくのが人生だ。
創世記/ 04章 16節
カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。

神様はカインにしるしを与え、カインの命を守ると約束したが、カインは神様から離れた。 カインはノドという土地に居住し、そこで城を築いた。
カインの都市、繁栄するその都市にカインの子孫レメクが登場する。
レメクは23節、自分の妻たちにこのように自慢する。
創世記/ 04章 23節
レメクはその妻たちに言った、/「アダとチラよ、わたしの声を聞け、/レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしは受ける傷のために、人を殺し、/受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。
これが繁栄する都市の姿だった。 力のある者は、力のない者を支配する。
都市は繁栄したが、真の喜びも平安もそこにはなかった。
人々は繁栄の中でも絶えずさまよっていたからだ。
文化と文明は日々発展していくのに自殺率は増え、離婚率も増えても引きこもりも増え、うつ病も増え、不登校する生徒も増え、社会に適応できない人も増えていく。 ところが問題はこのような問題が私と関係がなければ関心がないということだ。
神のいない国はノド、すなわちさまよう地である。
英語で生まれたBirth、死はDeathだ。
では、BirthとDeathの間には何が存在するのか?
Birthの頭文字BとDeathの頭文字D間の文字はCである。
生まれと死の間に存在するこのCは選択を意味するChoiceだと思う。
生まれて死ぬまで、私たちは多くの選択に岐路に立たされている。
聖書は次のように述べる。
ヨシュア記/ 24章 15節
もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。
異邦の神を選ぼうが神を選ぼうか選択しなければないことだ。
それに伴う結果はは本人が責任を負うことだ。
皆さん選択をしっかりしてください。 決して後悔のない選択をしてください。
Comentários