神の創造
- k2simple1
- 2022年10月8日
- 読了時間: 5分
創世記1章
神の創造
<houseとhome>
houseとhomeの違いを知っていますか?
Houseは簡単に言えば私たちが住んでいる建物を意味します。
ホームは家族が一緒に住む場所です。
創世記は、この宇宙がこの地球が「どのように」作られたのかを教えようと書かれた本ではありません。 この宇宙がこの地球が「なぜ」作られたのかを言いたいのです。 聖書は私たちにHOWではなくWHYを伝えたいんです。 聖書は「House」ではなく「home」について話しているのです。
<本質的な問題>
創世記1章1節 初めに、神は天地を創造された。
聖書は神様が天地(天と地にあるすべてのもの)創造したという宣言から始まります。
この文章の主語は神です。
つまり創造は神だけができるということです。
神様が宇宙に創造主であり、天地を作った王様だということです。
信仰とは、世の中のすべてが神様の摂理の中にあるという告白です。
しかし、人は自分が主語になりたいと思っています。
私が望むことをすれば、私が望むことを手に入れれば、空っぽの私の胸が満たされると思います。 しかし、私たちは人生の3つの本質的な問題について、自分たちで解決できない部分があります。
1)本質的寂しさ
人は関係がなければなりません。 人は一人で生きていけない存在だからです。
でも、誰かと関係を結んで交わりをして、自分の中に寂しさを満たそうとしますが、なかなか満たせません。 お酒を飲みながら友達と話をする時は満たされることがあります。
ところが友達と別れて家に帰る時にはまた寂しさを感じます。
夫婦関係において、私があの人を通じて満たそうとすると、絶対に満たせません。
受け取ろうとするだけの愛は、お互いの空っぽの心を満たすことはできません。
なぜでしょうか?
人は神様の形で作られた存在だからです。
人は神様によって満たされる存在だからです。
植物には水があってこそ生きることができるように、私たちを完全に満たすことができる方はただ神様一人だけだからです。
2)人生の虚しさ
私が望んだものを得れば世の中を得たようにこれ以上私を満たすことができるものがないとこれで十分だと思ったが、しかし再び私の中は空っぽだったことを感じる時がある。
世の中にあるものでいくら自分を満たしてまた満たそうとしても満たされるよりもっと渇きを感じます。
なぜでしょうか?
自分の創造された目的から抜け出し、神様の祝福を失った人は、自分の欲望を満たしながら生きていくが、満たされないので依然として虚しさを感じるからです。
神は人を創造しました。 そして人に人生の目的を与えました。
創世記1章26節
その目的は、神様が創造したこの世をそれぞれに与えられた タレントで、神様の思い通りに治めて管理することです。
3)未来に対する恐怖
人は自分に必要なものを供給することはできません。
聖書で言う福とは、神によって与えられるものであり、人に必要なすべてを満たすものでした。
しかし、神様の福を失った人は分からない未来と死に対して何も保障できないので恐怖を持つようになりました。
だから私たちには神様の福が必要です。
<秩序を作る神様>
第2節 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。。
神様が創造される時、この世の状態が二つでした。
地が混沌としていた。 ->カオス状態を意味する。
カオス状態は無秩序を意味する。
<順序に含まれている意味>
神様が天地を創造する時、一日目二日目三日目どうされたのか見てみよう。
1)第4節 神は光と闇を分け!
2)第6節 水と水を分けよ!
3)第9節 天の下の水は一つ所に集まれ!
神様が混沌としたこの世の中に無秩序なこの世の中を分けて集まらせて
入り混じっていた世の中に秩序を掴んだ。
これが聖書の創造の核心だ。
この世は神の秩序が込められている世の中だ。
一日目, 二日目, 三日目
初めに光と闇が入り混じっていた。
上に水の下に水が入り混じっていた。
地と海が入り乱れていた水もなく土地もない混沌の世界でした。
神様がそこに集まれと言いながら秩序を整えました。
4日目、5日目、6日目は何か?
空虚な世の中に太陽、月、星を入れて魚と鳥を入れて人と獣を入れることで
空虚な世の中に満たされた事件だ。

<言葉で創造された神様>
神様は世の中を言葉で創造された。
神様は毎日創造が終わる度に 見て、良しとされたと言う。
何でもない無から生まれた被造物が神様の愛の対象になり、甚だしくは聖なる存在になれるように初に決定されたというのが神様の創造です。
神様が誰かと聞かれたら一言で愛と答えることができる。(ヨハネの第一4:8)
そのため、初に宇宙を作り出した神様の言葉は愛です。
愛の神様が言葉で作った世界なので、私たちに命を与え維持させることは単純に物質的条件ではなく愛の言語と言えます。
<再び創造していく私たち>
私たちがこの地に生きていく理由といえば、神様が良いとおっしゃったこの世の中が人の欲と欲望で壊れた状態で無秩序な状態で放置するのではなく、神様が創造しながら良いとおっしゃった秩序の状態で美しく創造していくのです。
神様のおっしゃる通り、世の中が創造された時、神様を見るのに良い世の中になりました。
私たちの教会の標語日常での光と塩、そして香りの人生を生きていくことが創造の人生を生きていくことです。
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