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善悪の実

創世記3:1-21

 善悪の実

私たちは皆、結婚関係であれ、家族関係であれ、友人関係であれ、他人との関係が必要だ。

私たちは愛し愛されるために作られ、愛し愛される時、完全に生きているようになる。

ところが、私たちは世の中とまたお互いに関係を結ぶために作られただけでなく、最も重要なことは神様と関係を結ぶためにも作られた。

私たちは神様がアダムとハワをエデンに置いた後、園に来て歩きながら、アダムとハワと対話を交わしたりもした。(創3:8)神様は遠くにいらっしゃる方ではない。



ところが、ある瞬間からこの関係が崩れ始めた。

善悪の実の事件だ。

この善悪とは何だろうか。 この善悪とは境界を象徴する。

神はアダムに食べられないものがあると言う。

王は命令を受ける存在ではない。 だからアダムは王ではない。

では、エデンの王は誰か? 神様だ。

神様は善悪の実を通じてこの世界の主人が神様だということを知らせてくれる。


ところが、善悪の実を食べることで自らが基準になろうとする。

ヘビはエバに善悪の実を食べても死なないように言った。 本当に死ななかった?

彼の言うことが正しいように見える。

アダムとエバは死ななかった。

しかし、今日本文が言うこの死は単なる物理的死ではなく、まさに関係の破壊だ。



1)人と神様との関係が崩れた。 アダムが神様の前に隠れてしまった。

3:10 「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」

人は神を恐れる存在ではない。

人は神様と交際し、神様の愛の中に生きていく存在として創造された。


2)人と人との関係が崩れた。

人は自分を判断し、他人を判断し始めるようになった。

他人と比較して自分を判断する時、劣等感に陥って自分を愛することができない。

自分自身を受け入れられない。

また、他人を自分の基準に合わせて評価し、判断する。

人はみな同等の存在で作られた。 誰かに評価されたり評価する存在ではない。

しかし、自分自身が基準になって人と人との関係が崩れてしまったのだ。


3:16 支配する存在になってしまった。

神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」 男は女を治める存在として創造されなかった。

人が人を支配する世の中となった。

力の強い者が弱い者を金のある者が金のない者を支配する世の中になった。


3)人と被造世界の関係が崩れた。

私たちはこの世をより美しくする使命を持つ者だ。

しかし、すべての判断の基準になった人は、神様は作った自然を破壊し、数多くの動物を地球上から消えるようにした。 ただ自分だけのためだ。


各自が判断する座に座ることになった人はどうか。 善と悪を正しく判断するようになりましたか?

お互いに判断して評価するようになった人生はどうか。 幸せかな?

お互いに幸せな世の中を作るより、自分だけの利益のために損をしないために生きてきたが、実は

みんな傷ついていたのではないだろうか。


人間の反逆事件によって世界は再び混沌の中に置かれた。

ところが、神様はそのような世の中に放置するとは言わない。

神様はこれからはあなたをを通じて私の国を回復させるという。

その第一に、神様と人間の関係が回復されなければならない。

そうしてこそ人と人の秩序が回復し、人と自然世界の秩序が回復する。

したがって、神によって創造世界が回復する。


それで神の国は人によって破壊された秩序が共に回復するのだ。

これが重要なポイントである。

神様がおっしゃる福音と救いは、神様が作ったこの世に回復だ。

聖書は人間の救いだけが最終目標ではない。

人間を救い、神様が創造した世の中を回復することが救いだ。

それでヨハネの黙示録は 新しい天と新しい地を見る回復で終わる。 黙示録21:1

人が天国に行くことで終わるのではなく、神様が創造した創造世界に回復で終わるのが聖書の結論だ。

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