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主の祈り-御国がきますように

更新日:2022年7月2日

マタイ福音書6章9節 主題 御国がきますように


<神の国> 旧約時代のユダヤ人たちは神の名前をむやみに書いたり呼ばなかった。 それで「神の国」を記録する時「神」の代わりに「 天 」と言った。 天にいらっしゃる方、天を創造した方という意味だ。 天という言葉は高さと広い広闊さとどこにでもいらっしゃる方、

それで神様を天にいらっしゃる方だと思った。 また、神の国は主権を意味する。 「神の国」とは王になる神様が統治する国だ。 <人の国>

現在、世界70億人の人口のうち10億人が絶対貧困状態に置かれている。 彼らはいつ飢え死にするかわからない。 世界的に児童労働問題も深刻だ。 絶対貧困状態に置かれた国に15歳未満の児童労働者は2億人を超えでいる、 この子供たちの1日平均賃金は2ドルだ。 1日12時間ないし18時間働く。 北朝鮮は人口の30%が絶対貧困状態だそうです。 OECD加盟国の中で韓国は自殺率全世界1位だ。 日本は5位だ。 特に青少年老人の自殺率が急増している。


こうした問題は年々増加している。 なぜだろうか。 人間自身が王になった世の中を人の国と呼ぶ。 神様ではなく、自分が王になって生きていく国だからだろう。 人の国は他人の人生を奪って自分のものに取る国だからだ。 < 御国が崇められますように> 自分の部屋に座って音楽を聴いて自分が好きなことをしながら楽しめば、世の中が特に問題なく大丈夫に見えるかもしれない。 しかし、生きることが本当に大変だと感じる時、苦しい時に世の中が公平でないことを正義ではないことに気づく。 私だけ考えるなら、私に苦痛がない限り、神様の国は別に必要ではない。 これが私たちの本質だ。 しかし、私だけでなく神様と隣人を愛する心がいっぱいの人々は神様の国が来られることを祈る。 神様来なさいこの割れ、壊れた世の中を神様が回復してください 主の国がこの地に臨んで主の統治を実現するようにしてください 不条理な世の中差別と排除と搾取と傲慢に満ちたこの世の中に神の国が 臨んで公平と正義で治めてください。 だから悔しい者の涙が拭い、差別と排除と苦痛の中にいる生きていく人々が希望を抱いて生きていけるよう導いてください。 神の国は愛と平和、公平と正義の生きている国だ。 そのために私たちは主主の祈りを覚える度に神の国がこの地にも臨むことを祈るのだ。 イエス様がいらっしゃれば病気が治癒され、悪霊にとりつかれた人から悪霊 が追い出された。 あらゆる歪んだものが正された。 これはまるで光が入ると闇が消えるようなものだ。 それは神様の治めが臨んだからだ。 <神の国は死んで行く所だけを話さない> 神様の国について話す時、私たちはその国を将来臨む国、臨むことを期待する国ではなく、まるで私たちが死んでこそ行く国であるかのように話す時が多い。 しかし、神様が教えた祈りは明らかにそれとは違う。 御国がきますように 私たちが求めるのは他の場所というより他の秩序だ。 これはイエス様が約束したように、

後になった者が初めてになり、抑圧された人が自由になり、不義と搾取の代わりに公義と愛がある新しい秩序だ。 教会の最も重要な使命は、この地で神の国を表わし、神の国のために祈ることだ。 この地の人々に神の国が作り出した赤ちゃんではなく、実体であり実際だということを見せなければならない。 それが私たちがイエス·キリストに従う人生だ。 神様の国は神様の愛と意志があらわれるところであれば、どこでもその国を見ることができる。 愛が現れ、愛が憎悪と悪に勝つところなら、どこでもその国を体験することができる。 <それなら神様の思い通りにどのように生きていけるか。> 私たちがこの地で神様の民として神様の国を成していく人生を生きていけるように神様は私たちに聖霊様を送って下さった。 聖霊は私たちに言葉通り生きていく力を与えて能力を与える。 私たちのビジョンは、世の中の秩序に抵抗する人生を生きていくことだ。 創世記1章を見よ。 世の中は混沌の中にあった。 しかし神様はその混沌に抵抗して秩序を創造された。 人を一人の人格と見ることができず、道具と見る世の中が混沌とした世の中だ。 神様は天地創造を通じて神様の国がどんな国なのかを見せてくださった。 その国は男も女も平等な国だ. 人なら誰もが尊重されて当然の存在だ。 だからといって動物や植物など自然を毀損しても大丈夫なわけではない。 神様は世の中を創造しながら良かったと言った。 神様は神様が愛したこのすべての被造物をアダムに任せた。 心を尽くして身を捧げ、それを美しく守らなければならないのがアダムの使命だった。 そして私たちの使命だ。 一緒に生きていくすべての生物に尊厳を無視するなという神様の言葉を 私たちはこの地に神の国が臨んだことを生きることで抵抗しなければならない。 神様の国がこの地に臨むことを願う祈りは何か? この土地が与える満足に陥って生きていくのではなく、 この地で苦しむすべての人々が苦痛から解放されることを願う 真の自由と真の愛と真の許しがこの地に臨むことを私たちは祈らなければならない。 そして祈りは人生につながらなければならない。



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